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第五福竜丸無線長

 

久保山愛吉さん絶命

 

 

1954年(昭和29年)9月24日付毎日新聞号外

 1954年3月1日、遠洋マグロ漁船・第五福竜丸はアメリカ軍によるビキニ環礁水爆実験により多量の放射性降下物(いわゆる「死の灰」)をあびる。その約半年後、同船の無線長だった久保山愛吉氏が死亡した。本号外は、久保山氏の死亡を報じた号外。

 著名人の死去に際し、号外が出ることはままあるが、「絶命」と書いた例は他に(私の知る限り、特に戦後では)見あたらない。また、柩の写真を前面に出すという点も異例だろう。記事本文も、アメリカの水爆実験に対する怒りが込められていることがはっきりとわかる書きぶりで、このような号外はこれ以降、ほとんど無いのではなかろうか。




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